御筒粥祭(おつつがゆ)

この神事はその年の豊凶を占う「粥占い」に相当するもので、小正月に行なわれ「管粥祭」・「筒粥神事」「粥占神事」等といわれる。
長野県諏訪神社(下社)が有名で、出雲大社、千葉県安房神社などでも行なわれている。県内では弥彦神社、分水町乙子神社、柏崎地方で行なわれ、能生ではかって新戸の日吉神社で行なわれていた。
白山神社での始まりは明らかな記録はないが、江戸初期にはすでに行なわれていたようである。
準備:1月7日頃、白米三升(粒選びをした極質の精白米)を石臼で軽く挽き、篩で大粒(早稲)・中粒(中稲)・細粒(晩稲)に分け、各々五合ずつ三個の重箱に入れておく。
葭は前もって比較的太く瑕の無いものを選び、水に漬け、よく煮て髄やあくなどを煮落とし、良質のものを三種類(短=三寸・早稲、中=三寸四分・中稲、長=三寸八分・晩稲)選び、各々の重箱の米粒の上に一本ずつ乗せて置く。(葭は昔、徳合の戸上から奉納されていたという伝説があるが、現在は大王から奉納されている。)
窯修祓:1月14日昼頃、拝殿入口の扉を閉め、窓も布で覆い宮司と総代のみで厳粛に行なう。窯を祓いきよめる修祓後すぐに、本殿前の御手洗水が三升入った鉄の大鍋を囲炉裏にかけ、火は火打石から採火し、薪を燃やす。煮えた湯の中へ重箱内の米・葭を早稲・中稲・晩稲の順にゆっくり入れながら杓子でよくかき混ぜる。通して約1時間半で終わる。


*「準備」・「窯修祓」は非公開のため写真はありません。
宵宮献灯祭(でっかい蝋燭):14日夜、厄年祈願・無病息災祈願・商売繁盛を願い、大小十本の蝋燭(大は30kg〜40kg)が奉納され、大勢の氏子が参拝する。昔は参詣者が大変多く、拝殿・秋葉神社で沢山の氏子が宮篭りした。


曉 祭15日午前6時、修祓後、宮司により三本の葭が薄い刃物で四分六分に割られる(昔は午前二時頃に行なわれた)。割られた三本の葭を神前に供え、筒粥による作柄等を祭神に報告し、五穀豊穣等を祈念する。祭典終了後、筒粥を一般参詣者に公開する。占いの判断は公表しない。六分の方に詰まった粥の状態により、その年の早稲・中稲・晩稲の作柄・気象天候の予想を、見る人が自分で判断する習わしである。

暁祭に供えられる、3種類の筒粥    宮司により葦が割られる

     
     公開された、御筒粥          割られた葦を見る氏子







祇園祭(ぎおんさい)
拝殿での修祓 引渡しでの修祓
町中を練り歩く青年会 御旅所では7〜13日まで氏子がお参りに訪れる。

 祇園祭は京都八坂神社も祭りで、牛頭天王(除疫神)の信仰に始まる。
清和天皇の貞観11年(869)全国に疫病が流行し、その退散を祈願したことがその起源とされている。現在旧能生町では、7月7日に能生・藤後・溝尾の三地区で行なわれているが、「能生町史」によると、500年くらい前までは能生と藤後の間で神輿の受け渡しをし、同一神輿で祇園祭を行なっていたとのことである。
 能生の祇園祭は白山神社の末社・八坂神社(祭神・須佐之男命)の祭礼として行なわれる。7月7日早朝、修祓後神輿は白山神社から町の西端西浜町へ運ばれ、現地での修祓後西部青年会の若者連中により担がれ、地区内を練り歩く。昼には中央青年会に、夕方には東部青年会に引き渡される。各々神輿出発前に現地で修祓が行なわれる。夜8時前後に神輿は町中央にある御旅所(江戸時代「天王屋敷」といわれた)へ担ぎ込まれ、神輿が安置されると、御旅所で修祓が行なわれる。御旅所では、翌日から13日まで宮司による祓いが氏子になされ、13日夜8時、神輿は神社へ還御する。この時、沿道の家々では、疫病を置いていかれないように戸を閉じて見送る習わしとなっている。

燈籠祭(とうろうさい)(灯ろう揃い)

 8月18日の夕刻から夜にかけて行なわれる。大正4年の「白山神社祭典年中行事録」には「悪疫除祈願献燈祭」とあり、赤痢・コレラ等の流行予防を祈願して行なわれてきたようである。その始まりについては記録が無く不明。
 「灯ろう」は縦1.2m、横0.6mで、張られた紙の正面には主に武者絵が描かれ、側面には「秋八月」と書かれる。縁には赤紙で額縁様に飾り、長さ2mの竹竿には、細い割竹ヒゴに桜の造花・ススキ・ハギが一緒に結び付けられる。18日夕方6時頃、町東端の東小町から順に誘い合わせ行列し、西端の西浜町に集合する。「灯ろう」の蝋燭に灯りをつけ、全町内揃って行列し神社に向かう。神社では拝殿に各町内会長が整列し、神酒を奉納し修祓をうける。宮司は悪疫流行予防等の祝詞を奏する。祓いを受けた桜の造花は翌日各家庭に配られる。初秋に何故春の桜の造花が使用されるかについては、その理由は不明である。現在、全町の「灯ろう」が御旅所に1週間飾られる。昔は子供も「灯ろう」を作り、大勢参加し賑やかであった。
能生 白山神社
厳島神社式年祭(いつくしまじんじゃしきねんさい)(弁天様のお開帳)


平成18年度のお開帳の様子

 弁天岩の厳島神社は江戸時代、市杵嶋神社(いちきしまじんじゃ)、又、岩窟弁財天ともいわれ、白山神社の由緒によると、千年前の昔から六十年毎にお開帳が行なわれてきた(間の三十年毎に行なうものを「中開帳」という)。厳島神社は白山神社の末社で、祭神は市杵嶋姫命(いちきまひめのみこと)、御神体の御像は弁財天像の姿である。市杵嶋姫・弁財天共に「水」の守り神で、航海安全・豊漁祈願の祭礼として行なわれてきた。御神体・御像を白山神社本殿から厳島神社へ遷し、1週間の期間お祀りし、御像をお開帳する。
「お開帳」は江戸時代、泰澄大師(たいちょうだいし)の徳を讃える祭典としても行なわれ、大師縁の仏像(聖観音・銅造十一面観音等)も公開された。泰澄大師は加賀白山の開山者で、奈良時代の白山神社に仏像を持ち込み、白山信仰を布教したとされる人である。


  
            還城楽(雅亮会)                       輪歌(能生舞楽)
平成18年のお開帳を記念して、大阪四天王寺雅亮会の舞楽と、能生白山神社舞楽の共演が行なわれた。
境内で行なう予定であったが、荒天のためマリンホールを会場として行なわれた。
特殊神事