御由緒

海上安全

厄 除 け

学業成就

五穀豊穣

家内安全

交通安全

子孫繁栄

無病息災

商売繁盛


越後三十三観音霊場

能生 白山神社
御由緒

 古代奴奈川族の首長、奴奈川姫を祀って産土神社としたのが始まりと云われており、かつては権現岳にありました。
社伝によれば第十代崇神天皇十年十一月初午の日に始まったとされ、醍醐天皇の命よって作られ927年に完成した「延喜式」に記載されている奴奈川神社にあたるともいわれています。

 白山信仰を開いたと云われる泰澄大師(682−767)が奈良時代に加賀白山などを基地として両部習合を行った際、能生白山神社に仏像を安置し、白山信仰を布教し、社号を白山権現に改められたと伝えられています。

 本殿は明応年間(1492−1501)に火災で焼失しましたが、永正12年(1515)能登守護畠山義元寄進により再興されました。
その建築様式は、三間社流造の前面に一間の向拝を付けたもので室町時代の特色を示しており、国の重要文化財にも指定されています。

 江戸時代、元禄2年(1689)7月11日奥の細道の際に松尾芭蕉が髄行僧曾良とともに能生に宿泊しましたが、この際に当社の「汐路の鐘」を詠んだ句があり、境内にその句碑が建っています。

御由緒


伊弉那岐命(いざなぎのみこと)

奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)

大巳貴命(おおむなちのみこと)
御由緒

厳島神社(いつくしまじんじゃ)
(弁天岩)




秋葉神社
能生白山神社はかつて越後三十三観音霊場の巡礼の際に、ここに立ち寄ってから巡礼を始めよとされた神社で、「能生町史下巻・354頁」に次のように書かれている。「この白山神を巡礼護法神としたのについては、天正年中(1573〜91)に国府(直江津)在中の真言宗僧番玄が、能生の白山神社の小白山権現(本地聖観音)のご神託を受けて、越後三十三補陀落(観音を祀る霊山)を定めた。」という説があり、又、享和二年(1802)刊「本道案内」には巡礼せんと云う人の始めに、小白山権現に参詣し、それより一番の名立(岩屋堂)に始め、最明寺(下田村)に納むべしとある」と書かれている。